吉田松陰×齋藤 孝 魂に火をつける吉田松陰の100の言葉を、齋藤孝氏が超訳&解説!

超訳 吉田松陰語録 運命を動かせ

ご購入はこちら

松陰の言葉は、常に現実とぶつかり合いながら肚から吐き出された生きた言葉である。だから、時代を超えて、私たちの肚に届く。本書では、そういう松陰の言葉をわかりやすく噛み砕いて紹介させていただいた。本書を読むうちに、みなさんのオヘソの下、臍下丹田辺りに気力の塊のような、覚悟のようなものができることを、私は願っている。「私の肚から出た言葉を、君たちの肚で受け止めてほしい」というのが松陰の思いでもあると思うからだ。—はじめにより

超訳 抜粋

超訳1 志とは

志とは、世のため人のために何かをやろうと思うこと。その志を持ち、一心に生きることが重要だ。 だから、私は私の志に沿って行動するのみである。
(安政六年三月五日頃「福原又四郎に復す」)

【解説】(抜粋)

志というのは、世の中を良くしようという思いである。言い換えれば、心のエネルギーが「私」ではなく「公」に向かうベクトルだ。
したがって、「日本一の金持ちになってやる!」というようなものは志とは言わない。単なる私的な願望である。
志のために何をするかは、時代によって変わるし、仕事内容によっても異なる。具体的なものは個々人が考えればよいことだが、大事なのは、
「『私』より『公』を優先させて生きよう」
と思って行動すること。それが「志のある生き方」というものである。

超訳2 アイデンティティを持つ

仕事の種類に貴賤はない。大事なのは、その仕事を通して自分が世の中に役立つ何をやるのか、ということである。
その職分を志にしたがって尽くす。それが、自分のアイデンティティを確立する、ということである。
(弘化四年「寡欲録」)

【解説】(抜粋)

どんな職種であれ、松陰のようにまず「自分は世のため人のために役立つ。これを職分とする」と決めること。そうして自分のアイデンティティを確立して生きることが、志を貫いて生きることに通じるのである。

超訳3 天命に身を任せる

もとより私は自分が生き延びるための画策をしようとは思わないし、かといって死のうと思っていたわけでもない。自分が誠と信じることを実行し、国を良くしたい、その一念だけ。
それによって生きるか死ぬかは、単なる結果に過ぎない。天命の自然の成り行きに身を任せたのである。
(安政六年十月二十六日「留魂録」)

【解説】(抜粋)

別の言葉で言うなら、「人事を尽くして天命を待つ」—。
松陰は刑死したけれど、その死がもたらした衝撃波が全国に広がり、やがて日本を大きく変えていく力にもなった。それを思うと、松陰の早すぎる死もまた天命だったのだろう。
それにしても、「死んでもいい」と覚悟できるほどの「誠」というのは、ふつうの人にはなかなか真似できるものではない。松陰が自分でも「狂っている」と言っているように、あそこまで一途な「狂の人」になるのはハードルが高すぎる。
しかし、私たちが学ぶべきは、松陰は行きすぎてはいても、「私」と「公」で言えば、「公」のことしか考えていない点である。

超訳4 日々精進あるのみ

一度、自分のやるべき仕事を決めたら、事あるごとにいちいち迷うな。
昼夜を分かたず、ただひたすら、その一事に真面目に取り組むのみ。その結果としての成果があがろうがあがるまいが、そう気にするほどのことはない。すべては死に呑み込まれるのだから。
日々の営みにこそ全力を傾けるべきである。
(嘉永元年九月「燼余の七書直解の後に書す」)

【解説】(抜粋)

だいたい、現代人には迷いが多すぎる。若者はもとより、三十・四十を過ぎてもなお、「自分は何を成すべきなのか」「こんな仕事をしたところで意味があるのだろうか」などと思い悩んでいる人が少なくないのが実情だ。
そんなふうに仕事を定められないまま、いたずらに時を過ごすのはもったいない。それよりも、いま目の前にある仕事を「自分のやるべき仕事」と定め、日々精進するといい。そのほうがむしろ迷いがなくなるし、その過程で新たな道が開けてくるものである。

超訳5 「できない」のは「やらない」だけ

「できない」のは「やらない」だけである。何事も、まず「これをやる」と決めてビジョンを描き、できる・できないは考えずに、とにかくやってみることだ。それでできないことは何もない。
(嘉永四年八月十七日「父叔父宛書簡」)

【解説】(抜粋)

ここで大事なのは、まず「これをやるんだ」というビジョンを示し、逡巡している暇を与えないことである。人間というのは「やってみる前にできないとは言わせない」と追い込まれると、やる気のスイッチがオンになるところがあるのだ。
何かの課題を前に「できないよ」と弱気になったときは、ぜひ松陰のこの言葉を思い出していただきたい。あるいは、上杉鷹山のあの有名な言葉でもいい。
「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」
これをつぶやくと、意外と気分が盛り上がる。

超訳6 失敗は志の挫折ではない

私は『留魂録』というこの遺書を、何の目的もなく書いたわけではない。同志のみんなに志を通じたいがためだ。私が戦いに敗れたことを、「なぜそうなってしまったのか」と厳しく問い詰めてくれ。
私の失敗は志の挫折を意味するものではない。この失敗があればこそ、天下の大事を成し遂げることができるのだ。頼んだぞ、頼んだぞ。
(安政六年十月二十六日「留魂録」)

【解説】(抜粋)

いまは失敗に対して「怯える」傾向がある。一度失敗したら、それまでやってきたことのすべてが水泡に帰すようなイメージがあるのだろう、頭のなかに「失敗=挫折」の回路をつくってしまっているのだ。
そういう失敗と挫折を結びつける回路を絶て、というのが松陰のメッセージである。この回路を絶たない限り、必要以上に失敗を恐れて、何をするにもおよび腰。リスクを取って行動することができなくなる。
思えば、松陰の人生は失敗に次ぐ失敗だった。「やむにやまれぬ大和魂」に衝き動かされ、「どうぞ、捕まえてください」と言わんばかりの行動に走る。成功ではなく失敗によって日本を変えようとした、とすら思えるほどだ。そんな松陰の心の底流には「同志と志を通じなければ事を成せない」という思いがあったのだ。

超訳7 旅は学びの舞台

日本を良くしたいという志を胸に、日本中を旅して見聞を広げたい。そう思って江戸に出てきた。学ぶことにワクワクする余り、三千里の距離さえ遠いとは感じないほどだ。
(嘉永四年四月二十一日「兄杉梅太郎宛書簡」)

【解説】(抜粋)

注目すべきは、松陰のなかでは「志」と「遊び」が同居していること。旅で出合うさまざまな事象を、ワクワクしながら学びとっていく“学習方法”である。
一本筋の通った志の下に、足の向くまま、気の向くまま。「一週間後には自分がどこで何をしているかわからない。誰と出会い、どこへ行くかもわからない」という感じで、旅を学びの舞台とする。そこにあるのは、自由闊達な「遊び」の精神だ。三千里も遠いと感じないくらい、心が高揚するのである。
学ぶというのは、カリキュラムだからやる、試験があるからやる、というものばかりではない。それよりもっと楽しい学びが旅で得られるはず。ここは松陰の言葉を「体当たりで学んでいこうよ」というメッセージとして受け止めたい。

超訳8 志は死を超える

三十歳で死んでしまう私の人生に実りがあったかどうかはわからないが、同志たちが私の志を継いでくれるのならば、何も恥じることはない。志は死とともに消え去るものではないのだ。
(安政六年十月二十六日「留魂録」)

【解説】(抜粋)

自分は三十で死んでしまっても、志という種子を受け継ぎ、育てて、実らせてくれる者がある。短命であろうと、長寿を全うした者に何ら引けをとらない実りが得られる。だから、死を惜しまないのである。
このような不滅の志を持つことは、生身の自分を超越すること。死して後の世界をも開いてくれると言えよう。

齋藤 孝

著者略歴
齋藤 孝

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程等を経て、現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。
主な受賞作品に1998年宮沢賢治賞奨励賞を受賞した『宮沢賢治という身体』(世織書房)、新潮学芸賞を受賞した『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス)、シリーズ260万部を記録し、毎日出版文化賞特別賞も受賞した『声に出して読みたい日本語』(草思社)などがある。『座右のニーチェ』(光文社新書)、『現代語訳 学問のすすめ』(ちくま新書)など著書多数。NHK教育テレビ『にほんごであそぼ』の総合指導、TBS系「朝チャン!」MCもつとめる。