大好評『超訳 吉田松陰語録―運命を動かせ』に続く 齋藤孝の「超訳語録」シリーズ第2弾!

宮本武蔵×齋藤 孝 超訳 宮本武蔵語録 精神を強くする『五輪書』

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武蔵のように六十回以上の文字通りの「真剣勝負」を経験をした人は、武蔵以降誰もいない。これからも出ないだろう。その意味では、私たちにとって武蔵は乗り越えることが不可能な存在だ。それだけに、「死の淵に立って戦う」という具体性のなかで武蔵がつかんだ真理、そこから生み出された言葉の数々は、得難い宝物のようなものだと思う。いざ、「地 ・水・火 ・風・空」の五巻からなるこの『五輪書』を、今日的に読み解いていこう。本書を読み終えたとき、みなさんが「空」──迷いのない、晴れ晴れとした心境に至る何らかの解を得たと確信することを心より願う。―はじめにより

発売中 本体1,500円(税別)

超訳 抜粋

超訳1 究めた一つの道はすべてに生かせる

五十歳にして体得した兵法の奥義は、後に取り組んだ諸芸の道にも応用できるものであった。実際、私は独学で絵や書をマスターした。
あらゆることについて、私に師匠はいない。一つの道を究めた者には、新たに取り組むほかのどんな道であろうと、師匠は必要ないのである。

〈「地之巻」より〉

【解説】(抜粋)

武蔵は六十数回、「負けなし」の勝負を重ね、三十歳を過ぎてからはひたすら朝鍛夕練を積み、兵法の「利」、つまり兵法の根本をなす原理、真理あるいは極意とも言うべきものの体得に邁進した。その「利」をつかんだのは五十歳のころのことである。(中略)
私たちも武蔵に倣って、初めて取り組むことであっても、「先生につかずとも自分には習得できる」と自信をもって言えるくらいの「利」を、何かの道で体得したいではないか。
武蔵は「『五輪書』にその普遍の利を書いた」と宣言しているので、どの道に取り組む人にとっても『五輪書』に学ぶところは多いと思う。単なる兵法書を超えた真理の書なのである。

超訳2 心を揺るがせておく

どんな場面でも平常心を失ってはいけない。緊張せず、たるみもせず、常に心をニュートラルにする。ただし、どんな局面にも瞬時に反応できるよう、心は常に揺るがせておかなければならない。

〈「水之巻」より〉

【解説】(抜粋)

何があっても動じない。焦らず、あわてず、平常心で受け止める。そういう心の状態を保つことが大切であるとする一方で、武蔵は「無心になれ」とも「不動心を持て」とも言わない。
「心は常に静かに揺るがせておけ」と言う。この視点はおもしろい。(中略)
つまり物事に迅速かつフレキシブルに対応できるよう、心自体を「Iʼm ready」、準備万端の状態にしておく。それが武蔵の言う「心を揺るがせる」ことである。

超訳3 人生の難所を乗り越えろ

人生には難所というものがある。そこでがんばるか、難所とも気づかずにやり過ごしてしまうかで、その後の人生は大きく変わってくる。難所を難所としっかり見極めて、「いまが人生の一大事」と思って事に当たらなければいけない。
朝に夕に鍛練を重ねてワザを完璧に身につけて初めて、思いのままに自由に動き、かつ結果を出すことができるようになる。

〈「火之巻」より〉

【解説】(抜粋)

武蔵は人生を航海にたとえ、「船頭が潮の流れのきつい難所を知って、船をうまく乗りこなしていくように、全力で『渡』、つまり危機・難所を乗り越える心がけが必要だ」と言う。
最悪なのは、難所を難所と認識せず、ボーッと過ごしてしまうこと。たとえば「この一カ月で就職が決まる。生涯年収が決まる」という大事な時期に、「どうしようかな」と言いつつろくに就活もせず、のんびり日を送ってしまうようなケースである。(中略)
人生という海路を行く船頭の気持ちになって難所を見極め、がんばりどころをはずさないようにしなくては、海に吞み込まれてしまうだけ。「渡をこすと思ふ心」を持つことが大事である。

超訳4 達人の動作はゆったり見える

その道の達人は、動作はゆったりとしているが、やることは速いものだ。一日に四十里、五十里と行く人がいるが、朝から晩まで早く走っているかと言うと、そうでもない。ペースを上げたり、ゆるめたりするのがうまいのだ。逆に、一日中走っているのに、その成果が上がらないものがいる。

〈「風之巻」より〉

【解説】(抜粋)

武蔵のこの言葉は、そのまま仕事に当てはまる。忙しいはずなのに、なぜかゆったりしていて、仕事がはかどっているのは「できる人」。「忙しい、忙しい」と始終バタバタしていて、毎日のように深夜まで残業しているのに、仕事がはかどらないのは「できない人」。というふうに言えるのではないだろうか。(中略)。
達人は現実の時間の長さに関係なく、常に「間に合う」。それだけ余裕があるということだ。

超訳5 「我が道」を通して「空」を知る

空には善だけがあって、悪はない。我が兵法の道は、剣術のワザの鍛練を通して、迷いのない心をつくるものである。兵法だけではなく、どんな道であっても、「我が道」を通して「空なる心」を得ることができる。

〈「空之巻」より〉

【解説】(抜粋)

「空」という迷いのない心は、武蔵にとっての剣術の鍛練のような、何か具体的にやること、つまり「実の道」を通して知ることができるものだ。
それは、たとえば庭いじりを通して、人生を見るようなこと。一生懸命取り組んで、もし庭中の植物から「もっと水をください」「日光を当ててください」「もっと広いところに移してください」といった声が聞こえるようなら、偏りのない、迷いのない心ができた、ということ。「空」の境地にあると言えよう。つまり仕事でも趣味、勉強、日常の作業でも、「実の道」を突き進んでいった先には、必ず心は「空」になる、ということである。

著者 齋藤 孝 写真 著者略歴

齋藤 孝

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程等を経て、現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。
主な受賞作品に1998年宮沢賢治賞奨励賞を受賞した『宮沢賢治という身体』(世織書房)、新潮学芸賞を受賞した『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス)、シリーズ260万部を記録し、毎日出版文化賞特別賞も受賞した『声に出して読みたい日本語』(草思社)などがある。『座右のニーチェ』(光文社新書)、『現代語訳 学問のすすめ』(ちくま新書)、『超訳 吉田松陰語録―運命を動かせ』(小社)など著書多数。NHK Eテレ 『にほんごであそぼ』の総合指導もつとめる。