齋藤孝の「超訳語録」シリーズ第3弾!

福澤諭吉×齋藤 孝 超訳 福澤諭吉語録 新しい時代を創れ

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何と言っても、福澤は近代日本をつくりあげた人物の一人である。『学問のすゝめ』や『文明論之概略』『西洋事情』などの名著を残した教育者であるだけではなく、大学や銀行、新聞社など、現在に継承されている多くのビジネスモデルを指南したマルチ経済人の横顔も持つ。ベンジャミン・フランクリンが「アメリカの建国の父」と呼ばれ、徳を軸にした資本主義精神の源流をなしているように、福澤は現代日本人の源流だ。日本と日本人が歩むべき道の原点に、福澤がいるのである—はじめにより

発売中 本体1,500円(税別)

超訳 抜粋

超訳1 人間は学問で差がつく

人はなぜ学ばなければいけないか。それは『実語教』という平安時代に編まれた修身道徳初等教科書に、「人は学ばなければ愚人となる」とあるように、学んだかどうかが賢人と愚人を分けるからだ。
つまり、人間の「差」というのは、身分や家柄ではなく、学問をしたかどうかで決まる。それが本当の意味の「平等」である。日本はこれから、学問を軸に真に平等な社会を形成していかなければならない。

【解説】(抜粋)

それ以前の日本には、歴然とした「身分制」があった。どんな身分の家に生まれたかで、貴い・賤しい、豊か・貧しいが決まってしまっていた。どれほど学問に励もうとも、この差は死ぬまで埋まらない。そんな社会は不平等だとし、「これからの社会は、学んだか、学ばないかですべてが決まる。みんないっしょに、ヨーイドンでスタートを切れる」と言っているわけだ。
これは、新しい社会のあり方を示す、非常に重要な宣言である。福澤は端的な言い方で「日本人は今後、一生学び続ける」ことの重要性を説いた。それが明治以降の日本を「学問立国」へと導いたのである。
(「第1章 一身独立と自由のために学ぶ」より)

超訳2 習慣を変えれば新しい資質が育つ

自分には備わっていない資質があるとすれば、それはその資質に対応する習慣が身についていないからだ。習慣を変えれば、新しい資質が育ち、やがて第二の天然の資質となっていく。

【解説】(抜粋)

文明の進んだ西洋と東洋の違いは何なのか。福澤諭吉の出した答えは、「習慣」である。たとえばインドのカースト制度のように、人間を格付けして、階級ごとに利害が異なるのが当たり前に受け入れられている社会に育つと、それが習慣化して、階級の違う人に対して居丈高になったり、卑屈になったりするような資質の人々が増える。それほどに習慣の力は強力なものだと、福澤は言う。
(「第2章 新しいものに目を開く」より)

超訳3 自由とわがままを履き違えない

これからの時代、人は何事にも縛られず、自分の好きにふるまっていい。それが「自由」というものだ。
だし、自由とわがままは違う。人の迷惑になったり、悪いお手本になったりするのはただのわがままだから、控えなければいけない。

【解説】(抜粋)

いまもよくあるが、「自分で稼いだ金をどう使おうが自由じゃないか」というのはただのわがままということだ。「人の迷惑になったり、悪い手本になったりしないよう、分限を守りなさい、自由とわがままを履き違えてはいけませんよ」ということを強調している。
「自由にふるまいながらも、人の妨げをしない。それが、一身の自由を獲得するということだ」
「自由」を当たり前に獲得している現代こそ再認識したい、非常にシンプルな定義と言えよう。
(「第3章 本質をつかむ」より)

超訳4 努力が報われる社会をつくる

どんなに学問をしても、能力を磨いても、封建社会の下では地位が上がらない。生まれで将来が決まってしまうのではなく、努力が報われる社会をつくらなければいけない。「平等な文明社会をつくりたい」という私の思いの原動力となっているのは、門閥制度に苦しめられて無念のうちに死んだ親の思いである。私にとって、門閥制度は親の敵なのだ。

【解説】(抜粋)

福澤諭吉の父百助は、いわゆる下士。厳格な身分制度の下で「小禄に安んじ」、名をなすこともできないまま亡くなった。
そういう父の心中の苦しさ、愛情の深さを思い出すとき、福澤は憤り、涙が流れるというのだから、門閥制度を憎む気持ちが非常に強い。「親の敵で御座る」という言い方に、福澤の心情があふれ出るようだ。
こういう思いは、事をなすときの大きなモチベーションになりうる。平等な文明社会をつくることに情熱を傾け続けた福澤の気迫に感じ入る。
(「第4章 公平・公正な考えを持つ」より)

超訳5 個々の独立が国の独立につながる

国民一人ひとりに独立の気力があって、初めて国が独立する。わが日本国民はまず一身の独立を目指し、それによって国を豊かに強くすることができれば、西洋人の力など恐れるに足りない。道理のある相手と交わり、道理のない相手は打ち払うまでのこと。「一身独立して一国独立する」とは、このことである。

【解説】(抜粋)

福澤諭吉の思考のなかでは「国の独立」ということが非常に重要な位置を占めている。当時は、日本が列強の植民地になるかどうかの瀬戸際だっただけに、一国の独立が憂慮されていた。その独立を守るために、福澤は国民一人ひとりが「独立の気力」を持つことを第一義とした。
「一身独立して一国独立する事」をスローガンのようにして、学ぶときに「独立の気力」を養うことを意識したい。
(「第5章 国を思う」より)

超訳6 何があってもいつも気持ちは絶好調

世の中はざわついているけれど、私の一身は太平無事。小さいけれど江戸第一等、つまりは日本第一等の塾を開き、上機嫌で日々を送っている。

【解説】(抜粋)

世の中はざわついていたというものではない。前年末に王政復古の大号令が起こり、年明け早々に鳥羽伏見の戦い。この手紙を出した翌日は江戸無血開城と、揺れに揺れていた。それでも「私の一身は太平無事」とは、何とも爽やかではないか。
世の中はどこ吹く風。どんな状況にあっても縮こまらず、自分は絶好調だ、誰よりも燃えている、という気概を持つのは大事なこと。みなさんも「私の一身は太平無事」をキャッチフレーズにしてはどうだろう。声に出して言うだけで、元気が湧いてくるに違いない。
(「第6章 カラリと生きる」より)

著者 齋藤 孝 写真 著者略歴

齋藤 孝

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程等を経て、現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。
主な受賞作品に1998年宮沢賢治賞奨励賞を受賞した『宮沢賢治という身体』(世織書房)、新潮学芸賞を受賞した『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス)、シリーズ260万部を記録し、毎日出版文化賞特別賞も受賞した『声に出して読みたい日本語』(草思社)などがある。『座右のニーチェ』(光文社新書)、『現代語訳 学問のすすめ』(ちくま新書)、『超訳 吉田松陰語録―運命を動かせ』(小社)など著書多数。NHK Eテレ 『にほんごであそぼ』の総合指導もつとめる。