道徳の時間 / 園児の血 前田司郎

6月11日発売

本体 1500円(税別)

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道徳の時間 / 園児の血 前田司郎

これは大人が忘れた現実か? おそるべき子供の世界 待望の書籍化!

五年二組、道徳の時間。男子が熱中しているとある遊びの犯人捜しが行われている。それは四年生の頃とは何かが変わってきた、禁じられた遊びだった。女子児童への昂り、抑圧された感情、嫉妬、真犯人……。それぞれの思惑が交差するなか、これじゃまるで動物のようだわ、と冷めた目で生徒たちを見つめる女教師もまた、隠された欲望を抱いていて―。『道徳の時間』

恐竜消しゴムを噛みながら通園する孤高の園児タカシ。保育園で地獄を見たというコウジを“兵隊”にして、園内で強大な権力を持つクラトに闘いを挑む。 「目が合っちまったらやるしかないのさ」三輪車の奪い合い、キラキラシールの紛失、コチョコチョ攻撃。パパもママも先生も知らない、ハードボイルドな幼稚園生活。『園児の血』

今思えば、映画の現場での前田司郎は 監督というより教師の様であった……。板尾創路

著者コメント

子供は動物と人間のあいだに居る人

子供の頃から大人ってなんだろうと思っていました。大人になると、今度は子供がわからなくなる。結局、大人と子供の違いってなんだかわからない。生物だと多分、生殖が可能になったら大人なんだろうけど、人間の社会ではその基準はどうもしっくり来ない。時代や文化や宗教によっても変わるものなのかなと思う。「あいつは子供だ」とか「あの子は大人びている」とか恣意的に変わるんだからかなり曖昧です。僕個人としては、作品でも触れているけど、欲望や野性が丸出しの裸の人間が子供で、そこに社会性とか、倫理観とかで出来た衣服を纏ったのが大人なのかなと思います。大人は社会に適応した人間だけど、それは実は生物としては去勢された感があると思う。

浣腸で怒られるってバカバカしい

なんか人が怒られているのとか、怒っている人とか、見てるとバカバカしくて面白い。自分が怒られるのは嫌だけど。『道徳の時間』では浣腸して怒られる人を書きたかったので、別に子供が書きたかったわけじゃなかった。最初は。あと、子供の頃、道徳の授業に凄く違和を感じていたし、今でも気持ち悪いと思う。価値観を押し付けることこそ一番非道徳的だと僕は思うから。先に話したように僕は子供と大人に明確な差があるとは思ってないから、子供が子供らしく話すのは気持ち悪く感じる。その辺は子供を取材して子供の言葉を使おうとかは全くしなかったです。

単純じゃないけど単純にしないと物事は考えられない

物事は単純じゃなくて、今回の二作品とも衝突が描かれているけど、どちらかが悪くてどちらかが善いなんてことはありえない。その辺の小さな諍いだって、戦争だってそうだと思う。見る人の立場によっても変るし、時代によっても変わるし、局面によって違う。争いにおいてはそれぞれの正義があって、どっちにも一理あるんだと思う。だけど結局勝ったほうの理屈が正しいということになるのが歴史の常で、せっかく小説なので勧善懲悪ではなく、その辺の機微を書けたらなと思って書きました。でもやっぱり世界はもっと複雑だから、言葉にした時点でかなり単純化されると思う。一言じゃなくて言葉を沢山重ねた分、小説はいくらか複雑なのかな。

イベント、フェア情報

6月21日(火) 20:00~
山田裕貴×前田司郎
映画『ふきげんな過去』公開記念トークイベント
@TOWER RECORDS渋谷店 8F「SpaceHACHIKAI」
7月1日(金) 19:00~
前田司郎×菊池亜希子 トークイベント
『道徳の時間/園児の血』刊行記念「わたしたちをつくったものの話」
@青山ブックセンター本店 大教室
7月8日(金) 19:30~
柳美里執筆開始30周年&芥川賞受賞20周年記念&新刊『ねこのおうち』刊行記念トークライブ!
柳美里、中瀬ゆかり、前田司郎
@ロフト9渋谷

著者プロフィール

前田司郎 まえだ・しろう

前田司郎 まえだ・しろう

1977年、東京生まれ。劇作家、演出家、俳優、小説家。劇団「五反田団」主宰。1997年、劇団「五反田団」を旗揚げ。04年『家が遠い』で京都芸術センター舞台芸術賞受賞。05年『愛でもない青春でもない旅立たない』(講談社)で小説家としてデビュー。07年、小説『グレート生活アドベンチャー』(新潮社)が芥川賞候補となる。08年、戯曲『生きてるものはいないのか』で第52回岸田國士戯曲賞受賞。09年、小説『夏の水の半魚人』(扶桑社/文庫・新潮社)で第22回三島由紀夫賞受賞。15年『徒歩7分』で第33回向田邦子賞受賞。ほか、ドラマ・映画の脚本、演出も手がける。近著に『口から入って尻から出るならば、口から出る言葉は』(晶文社)、『私たちは塩を減らそう』(キノブックス)。脚本・監督作に『ふきげんな過去』がある。